【ものづくりの現場から。- at 妻有ビール vol.01 - ブルワリー設立の軌跡 】

5月から、世田谷本店ではテイクアウトのバゲットサンドウィッチやクラフトビールなどの販売を開始しました。
今回は、全粒粉バゲットで無添加のハムをサンドした「ジャンボン ブール」や季節のサンドウィッチのお供にぴったりな、新潟県十日町市で、地元に愛されるクラフトビールを製造している、【妻有ビール – Tsumari Brewing -】 さんの特集vol.01(全2回)です。

続編のvol.02は以下からご覧ください。

» 【ものづくりの現場から。- at 妻有ビール vol.02 - ブルワリーの日々と未来 】:https://read.signifiantsignifie.com/feature/from-the-scene-07/

妻有ビール:豪雪ペールエール と ジャンボン ブール

シェフ志賀の故郷でもある新潟県十日町市の松之山で開催される「ガストロノミー 松之山ダイニング」がきっかけで出会いました。

越後妻有

妻有と書いて「つまり」と読みます。

新潟県十日町市・津南町からなる地域を指し、信濃川の最上流の四方を山に囲まれた「奥深い行き止まりの地 =いきづまり」という意味であるとされています。

平年で2mを超える豪雪で、人々は半年近く雪の中での生活をしています。

十日町では昭和30年代に、ホップを栽培する大規模な農場があったそうです。

< 妻有ビール > ブルワリー開設まで

妻有ビールを立ち上げた高木 千歩さんは、東京から、ご両親の出身の地<新潟県十日町市> へと移住し、地域おこし協力隊として活動しました。
任期終了後に、仲間とともに地産地消をテーマにしたビアレストランをオープン。
ビールの知識を蓄え学ぶ中で、「十日町の地ビールはないんですか?」という数々の声から、ブルワリーの立ち上げを意識するようになりました。
そして、出会いや着実な努力を重ね、2017年に妻有ビールを設立しました。

さらに、地産のホップの生産にも取り組み、地元への愛とクラフトビールへの想いはとどまるところを知りません。

次々に行動を起こし、周りの人を巻き込み、実現に向けた未来につき進んでいる高木さんに、お話をうかがうことができました!

今回のvol.01は、ブルワリー設立までの軌跡です。

十日町で生きるチカラの違いを感じた

2011年東日本大震災の際に、オフィスで帰宅難民になり、
翌朝の早朝には長野北部地震で両親の出身地である十日町市も被災地となりました。
いつもは新幹線利用で2時間でいけるところも、いざ電車がとまり、高速も使えないとなったとき、実はとても遠いところなのだとあらためて思い知らされました。

インフラである交通機関が滞り、物流も不安定になりましたね。

東京では買い占めなど食料を確保することに関して殺伐した状況になっており、一方で十日町では自分のお米やお野菜を自分で育て、春には山菜を取り、おすそ分けも日常的に行われていることの豊かさ、山には豊富な水資源があり、薪を活用することができる。
この生きる力の違いを一層感じるようになりました。
地震とおなじ2011年3月に父が急逝し、お墓を十日町につくろうと思ったときに、移り住むなら今しかないと考えるようになりました。
地域おこし協力隊の仕事なら、なんとか今までの経験がいかせるかもしれないと応募しました。

地域おこし協力隊では、どのような活動をされていたのですか?

地域おこし協力隊では地域の環境や文化の保全団体のお手伝いや地域のお野菜のブランド化、地産地消の推進を行ってきました。
地域の皆さんから山菜、お米やお野菜、ブランド豚のことなど食にまつわることをたくさん教えていただきました。
そして一番ショックだったこととしては、お父さんお母さん二人になってしまって畑でできた野菜が多すぎて、捨てているということでした。

活動をとおして、地元の方とお話するなかで、地域が抱える問題点に直面したのですね。

何とか廃棄を減らして地域内で循環する仕組みを作れないかと、若手農家さんと協力をして地産地消を推進するべく会の設立を支援し、直売所をやってみたり、市内の飲食店さんに野菜を使ってもらえるよう営業をしました。
その仕組みが少しずつまわりだしたとき、山菜を出品してくれたお父さんから「もらったお金でかか(お母さん)と食事にいくんだ」と、嬉しそうに電話をもらった時に、”地産地消の取り組みは地域を元気にする力につながるんだ” と実感しました。
それが今の仕事にもつながっています。

クラフトビールとの出会いは?

東京で会社員だったころに、ビール好きの先輩からベルギービールのお店に連れて行ってもらったのが最初の出会いだったと思います。
日本のビールとの違いが衝撃的でした。
その後、アメリカ、イギリスや国産クラフトビールも飲むようになり、その魅力にはまっていきました。

協力隊の任期終了後に国産クラフトビールを扱うビアレストランを開くことにつながっています。(2014年4月「ALE beer & pizza」をオープン)
ビアレストランでは店長として、ビールの仕入先や銘柄の選定、お客様への提供やご説明をしておりました。
おいしくビールを提供するためにという観点で、ビールについて知識を深めるため日本地ビール協会のビアテイスターの資格を取得したりと、座学の勉強をしておりました。

「クラフトビール」(地ビール)の定義(JBA)

1.酒税法改正(1994年4月)以前から造られている大資本の大量生産のビールからは独立したビール造りを行っている。
2.1回の仕込単位(麦汁の製造量)が20キロリットル以下の小規模な仕込みで行い、ブルワー(醸造者)が目の届く製造を行っている。
3.伝統的な製法で製造しているか、あるいは地域の特産品などを原料とした個性あふれるビールを製造している。そして地域に根付いている。
(2018.05.)

「クラフトビール」(地ビール)とは « 全国地ビール醸造者協議会(JBA):

http://www.beer.gr.jp/local_beer/

ビアレストランを営業するなかで、どのようなお声をいただきましたか?

十日町市では最初のビアバーとなったわけですが、最初はあまりにもなじみのないものだったので、大変苦戦しました。その中でも少しずつファンが増えていき、観光客のお客様も来店されるようになると「十日町のビールはないの?」という質問が多くなってきました。
どうやったら作れるのだろう?と調べたことがブルワリー設立への最初のきっかけでした。

声を聴き、それをご自身のなかに取り入れ、行動に移すたゆまない実行力と好奇心がうかがえます。

様々な醸造所へお邪魔しましてヒアリングをしていきましたが最初に伺ったところは大きな醸造所が多くてとても無理だと早々に挫折しそうでした。
そんな中で伺った山梨県のアウトサイダーブルーイングさんでは、商店街の空き店舗利用でコンパクトながらレベルの高いビールが造られており、このやり方ができればチャンスはあるかもしれない!とあやしいくらい(笑)根ほりはほり質問をさせていただきました。

希望となる出会いがあったのですね!それは、質問せずにはいられないですね!

当時の醸造長の丹羽さんがとても親切に教えてくださり、
だいたいの予算を把握することができました。
かなりの金額でしたので、自力での調達は難しく足踏みの状況が続きましたが、前職の上司の方々より資金援助のお話をいただけて一気に実現に向けてすすんでいきました。
立ち上げは想像以上に厳しく大変な道のりでした。

足踏み・・・。けっして歩みを止めないというビジョンと熱意が言葉の端々から伝わります。
地域を見つめ、目標を見据えて立ち向かい進もうとする、高木さんの原動力とは。

ただ応援してくれている地域の皆様、投資をしてくれた皆様のために、そしてクラウドファンディングで支援をしてくださった皆様のために『なんとしてもまずスタートをしなくては!』という想いがつよかったです。

歩みの中で出会う人、応援してくれる人のために。

山梨県のアウトサイダーブルーイングさんで研修をして、その後半年をかけて醸造免許を取得し、クラウドファンディングや醸造所のペンキ塗りなど200名を超える方々から支援をもらい妻有ビール(醸造所)をオープン。

地の利を活かした、地産地消型のビール醸造。
地元の皆さんの応援を源に、挑戦は続きます。

次回、ものづくりの現場から。- at 妻有ビール vol.02 は、ブルワリーの日々と未来への取り組みについて です!

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シニフィアン シニフィエ世田谷本店では、現在「豪雪ペールエール」をお取り扱いしています。
冷たくしてご用意していますので、お散歩がてらにぜひお立ち寄りください!

「豪雪ペールエール」
ホップの苦味は抑え、麦芽の風味とほどよいホップの香りを感じられるペールエール。
素直で飲みやすいので、クラフトビールに馴染みのない方でも。

妻有ビール株式会社 Tsumari Brewing

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新潟県十日町市太平字塚上り474-1

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